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倒産と再生の狭間でketsui

企業再生、倒産、自己破産、
再出発

私が倒産を決意するまで

 私は平成24年3月まで従業員約100名の会社の社長をしていました。三代目として引き継いだのはバブル崩壊後の平成10年のことで、すでに2年赤字で1年黒字のような低空飛行の状態で引き継ぐこととなりました。
営業の売上は地域で最下位、労働条件は業界トップ。労働組合との団体交渉では、悪いのは景気で自分のせいではないと言い出す始末。新企画、新商品も今までと違うからわからない、面倒だと古参の従業員は動かず、一部の従業員だけが必死に頑張ってくれるものの、古参の従業員は、自分の売上と立場が悪くなるため、新人や成績優秀者には頑張ってもらっては困るというから始末が悪い。挙句の果てに会社は組合員に平等に仕事をあたえなければならないが、非組合員に仕事を与えては困るという。
経営者として、厳しいこともいったし、やったかもしれないが、給与遅配だけは1度もしなかった。自分の給料なんかは後回しにしても、家に帰って奥さんにガミガミ言われてもそれだけはしなかった。
でも売上が上がらない、過去の設備投資資金などの借金は、借り換えを繰り返したため、資金使途は運転資金と名前を変えて利息分増額しているようなもの。デフレデフレといっているけど原料高の売上減。
仕入れ代金の支払いも遅れがちになり、携帯電話の着信のたびに胃が痛む日々を過ごしていました。
家に帰りいつもの妻の小言を聞いて、酒をがぶ飲みして寝てしまうけど、夢でも苦しみハッと目が覚めると2時間ぐらいしかたっていない。それからもウトウトするけど熟睡することもなく出勤。こんな日々を数年にわたり過ごしていました。

年末や年度末は特に、目先の資金繰りばかりに追われ、何も手に付かない状況でした。
その時は右を向いても左を向いても、
会社でも家でも
・・・、と、
ノイローゼになりそうな日々でした。
客観的にみて非常に厳しいのはわかっていましたが、何とかなると信じてがんばってきました。仕入れ先からの納入も絞られるようになり、個人のカードローンも使い会社に入れる始末。そんなことも長く続く訳もなく決断の時を迎えることになりました。
その時はネットでいろんな検索をしました。

企業再生、ADR、リスケジュール、
債務整理、倒産、自己破産、破算申立準備、未払い賃金、再チャレンジ支援融資制度、上手な倒産、倒産の仕方、個人民事再生、弁護士報酬の目安、倒産費用、大殺界


と大体こんな検索ワードを入力していました。たくさんヒットしましたが、なかなか知りたい情報というか、いつ、どこで、誰が、何を、どのように、どのぐらいの費用で、その後の生活は?ということが分からずにいました。
私なりに紹介することで、もし少しでも
同じような状況の方々のお役にたてればと思います。